最後の秘境、檜枝岐村

奥会津の最果てにある谷あいの里

奥会津の最果て、檜枝岐村。ここは尾瀬の大自然に包まれた谷に、約500人の人々がひっそりと暮らす山村です。山々に囲まれた標高1000m近い高冷地のため、夏は涼しい避暑地として、冬は雪国の旅情を味わえる湯けむりの温泉地になります。良質な黒檜(クロベ・地方名ネズコ)の産地であったことから、その名を冠した檜枝岐村。そこに住む人々の暮らしは、時には恵みをもたらし時には猛威を振るう、大自然と共に生きた歴史を色濃く残しています。


檜枝岐の生い立ち

村の生い立ちを調べると、村内の遺跡から発掘された土器の文様からみて、縄文時代にさかのぼることができます。村に残る文献によれば794年の平安遷都の際に紀州の牟漏郡星の里(むろごおりほしのさと)から移り住んだ藤原金晴という人物が邑長になったと記されています。さらにのちの12世紀の源平合戦と16世紀の織田信長の伊勢平定から逃れた人々が移り住んだとされ、作米のできない不自由さや、豪雪による雪崩、谷あいゆえの水害、大火の災禍を乗り越えてこの隠れ里を代々住み継いできました。現在は過疎化の状況にはあるものの、尾瀬の自然に魅せられた人々が少人数ですが移り住むようになりました。

六地蔵。山深い里のため、凶作の年には餓死者もでるほどで、「まびき」という悲しい歴史もあったそうです。
板倉群。壁土の採れない檜枝岐では倉も木造でした。火災から護るため宅地から離れた畑などに建てられました。

尾瀬の恵みが生んだ豊富な湯量の温泉保養地

高度経済成長期になると檜枝岐村の基幹産業は林業から観光業へ変わりました。現在は旅館や民宿、村内各家庭まで温泉が給湯され、温泉保養地として親しまれています。温泉質は単純アルカリ泉と単純硫黄泉(燧の湯のみ)の2種。いずれも尾瀬の恵みといえる豊富な湯量を誇ります。

燧の湯の露天風呂
かぎや旅館 内湯

尾瀬の季節が味わえる山人料理(やもーどりょうり)

山人料理とは檜枝岐独自の伝統料理です。冷涼な高地のため米が採れない檜枝岐では、昔、山で働く男たち(やもーど)が、蕎麦粉や雑穀・酒・味噌・塩を持って山に入り、山中で採れる食材(山菜、きのこ、川魚、動物など)で賄ったことからこの名前が付けられました。現在、村内の旅館や民宿では、独自の蕎麦料理をはじめ、季節の山菜やきのこ、清流の冷たい水で育てた岩魚、山椒魚、鹿や熊の肉など山川の恵みを食材とした山人料理を提供しています。

焼き餅。蕎麦粉や小麦粉でつくる。赤いものはぐみ餡。
サンショウウオと山菜の天ぷら。