尾瀬─希少な自然景観と
自然保護の発祥地

希少な自然を護る国立公園

尾瀬国立公園は、福島県、群馬県、新潟県及び栃木県の県境に位置します。日本最大の山地湿原である尾瀬ヶ原や火山堰止湖の尾瀬沼、それらの周りを取り囲む2,000m級の山岳地帯から構成された日本でも珍しい高原地帯で、その大部分が国立公園に指定されています。国立公園内では厳しい環境規制を設けながらも、湿原のトレッキングや百名山登山、希少な高山植物の観賞を目的に、年間約25 万人(令和元年度)の人々が訪れています。


ダム、道路建設から護り抜いた手つかずの自然

尾瀬の開山は1890年、檜枝岐村出身の平野長蔵によるとされています。長蔵は大正時代に水力発電ダムの建設が計画されると反対活動に奔走し、尾瀬に移り住んで開発への抵抗を示しました。太平洋戦争後、電力需要の増加でふたたびダム計画が持ち上がると、植物学者の武田久吉や長蔵の息子長英氏が反対運動に尽力します。その後、尾瀬を縦貫する道路建設が進もうとすると長英氏の息子、長靖氏が反対運動を起こし、白紙撤回に成功しました。こうした自然保護運動が実を結び、尾瀬は1934年に日光国立公園の一部として指定。2005年にラムサール条約の登録、2007年に日光国立公園から独立して尾瀬国立公園として指定されています。 尾瀬に殉じた平野家三代の墓は檜枝岐側の沼山口から近い大江湿原のヤナギランの丘にあります。また檜枝岐では武田久吉博士の自然保護の意志を伝えるため、村内で武田久吉メモリアルホールが公開されています(冬季閉館)。

尾瀬の開山者、平野長蔵
ミニ尾瀬公園にある武田久吉メモリアルホール

大小さまざまな湿原と総延長65キロメートルの木道

一般的な尾瀬のイメージは本州最大の高層湿原である尾瀬ヶ原でしょう。しかし山頂の稜線のほとんどが湿原になっている会津駒ヶ岳をはじめ、尾瀬国立公園には「田代」とよばれる高層湿原と池塘で構成された泥炭層の湿原がその成立年代や立地条件によって植物相を少しずつ変えながら数多く存在します。
高層湿原の泥炭形成は1年間に約0.7ミリと非常に遅く、もしも湿原に7センチの足跡を残すと100年分のダメージを与えたことになります。そのため尾瀬では木道が広く整備されているのです。その総延長はおよそ65キロメートルにもなります。檜枝岐村では『檜枝岐村ふるさと応援寄附金』を募集し、会津駒ヶ岳の木道整備等に役立てています。


日本の自然保護運動の発祥地として

尾瀬では湿原の保全活動や全国の国立公園に先駆けたごみ持ち帰り運動、マイカー規制、浄化槽の設置、最近ではシカ食害対策など、美しい自然景観を護るために人々が積極的に活動しています。私たち檜枝岐村は「日本の自然保護運動の発祥地、尾瀬」という誇りを後世に伝えられるよう、今日の尾瀬の自然を滞在者の皆さまと共に護り抜いているのです。


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