昭和59年中土合公園の駐車場脇に建立されたが、ミニ尾瀬公園の燧ケ岳の見える水辺に移転された。 本人自筆の詩が燧ケ岳をかたどった白御影石に刻まれている。
江間章子(1913-2005)氏は、新潟県現上越市生まれの詩人で、2歳のころから10年間母親の実家である岩手県現八幡平市に住んでいたが、そこは岩手山の近くでミズバショウの咲く地域だった。そして1944年(昭和19年)にたまたま尾瀬を訪れ、一面に咲き乱れるミズバショウを目にした。そのときの気持ちを後に「夢心地」と表現している。終戦後の1947年(昭和22年)、NHKから「夢と希望のある歌」の作詞を依頼されたとき、思い浮かんだのが尾瀬での情景であり、その時の感動を詩にしたのが「夏の思い出」である。
尾瀬にミズバショウの咲くのは5月末であり、尾瀬の春先にあたるため、夏ではないとの批判もあったが、江間氏はその理由を『(夏の思い出)その想いのゆくえ』にて以下のように述べている。
「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う」歳時記には俳句の季語が掲載されており、ミズバショウは夏の季語である。文学上の季節と実際の季節には少しずれがある。また二十四節気においても5、6月は夏にあたる。